今回、お話をお伺いしたのは、京都で複合施設を運営する株式会社ニシザワステイの代表取締役 西澤徹生さん。
「ホテル王になりたい」と話す西澤さんは、旅行会社を退社後も京都大学大学院でリカレント教育を受け、2年間の学びを経て、観光MBAを取得されています。2022年にはコワーキングと観光案内所を併設したSIGHTS KYOTOをオープン。人と人とが繋がる「場」を作り続けています。
なぜ西澤さんはリアルで人と人とが繋がる「場」にこだわるのか。そして、オーバーツーリズムが問題になっている京都で観光業を続ける意義とは?
今回は西澤さんが持っている幸福に対する価値観から、SDGsへの問題意識、そして観光業の未来についてもお聞きしました。
<Profile>
西澤徹生
1988年生まれ。京都府出身。京都を拠点に宿泊施設や飲食、観光案内などを兼ねた複合施設を運営する株式会社ニシザワステイの代表取締役。大学を卒業後、旅行会社のJTBに4年間勤務し、店頭業務や法人営業を経験。退社後、京都で起業し、2016年に1棟貸しの宿泊施設をオープン。その後、京都大学経営管理大学院の観光経営科学コースに入学。観光MBAを取得。2022年に京都五花街のひとつ宮川町に観光複合施設「SIGHTS KYOTO」をオープン。地元の人のみならず、観光客や京都の事業者が交流する場となっている。
「場」に行く意味を考えた時に、人との関係性とか、刺激とかがこれからのキーワードになる。
―西澤さんはホテルとコワーキングスペースを経営されています。特にホテルは地域とか人とかも関わってくると思うのですが、ホテルは”幸福”にどう繋がっていると思いますか?
ホテルの面白さは、地域にも繋がっていることなんですよね。僕はそれこそ幼少の頃から「人を笑かせたい」「人を喜ばせたい」っていう思いをずっと持っていて。人を笑顔にすることが幸福やと思っているんですけど、個人を幸福にするだけじゃ、やっぱりどこかで物足りなさを感じているんです。地域とか、国とか、もっと奥には地球を笑わせたいって思いがあるんです。その構想として、ホテルってイメージがあったんです。
―西澤さんが経営しているSIGHTS KYOTOはコワーキングスペースですけど、みんなが笑顔で過ごしている空間ですよね。こういう場があるって社会にとてもすごく大切だと思うんです。僕は落語が好きなんですけど、例えば落語の世界だったら”人のダメさ”を肯定してくれるところに魅力ですよね。何か失敗しても、例えば長屋に帰ってくれば「お前はバカだな」ってそれを包み込んでくれる。そういった人間関係が落語の世界、ひいては江戸時代にはあったと思うんです。今はそれが失われつつあるんじゃないかと。SIGHTS KYOTOはそういう”人を包摂する場”にもなり得ますよね。
おっしゃる通りだと思いますね。人との繋がりであったり、共同体、つまりコミュティ的なものが江戸時代はすごく豊かだったと思います。でも、そういったものは現代で失われつつあるな、って僕も感じていて。江戸時代的な”あたたかい場”を作りたいとは思っているんです。
江戸時代は「数を増やす」というよりも「日常の中の豊かさ」に幸福を見つけ出していましたよね。例えば金魚とかも江戸時代に観賞用として価値が見出されたものらしいんです。それまではただ単に食べるだけだった「魚」というものに芸術性という価値をつけて、しかもそれをちょっと高く売っていた。江戸時代には暮らしの中にウェルビーイングがあったということですよね。
―今はメタバースとかSNSといったバーチャル上でも人と繋がれる時代ですよね。そういったものが実装されている中で、ホテルやコワーキングスペースといったフィジカルで人と繋がれる「場」がある意味ってどこにあるんでしょうか?
まず、僕、基本的に高校生ぐらいの時からSNSが苦手だったんです。mixiが始まった頃ですけど、mixiもやらなかったですし。
―それは珍しいですね(笑)
珍しいでしょ!(笑)その頃からフィジカルで人と繋がりたいタイプだったんですよね。17歳くらいから「バーチャルじゃなくてリアルで人と繋がりたい」ってスタンスなんです。僕にとってバーチャルは効率が良すぎるんです。すぐに連絡取れたりとか、もちろん、いいところもあるんですけど。
フィジカルが好きな理由はやっぱり温度感ですよね。バーチャルにも温度感を入れることはできると思うんですけど、直接会って話すの時とは違った温度感だと思うんです。
あと、僕、「空気を読む」って言葉が好きなんです。「空気を読む」のがめちゃくちゃ得意なんですよ。特殊能力やと思ってて。バーチャルとかオンライン上だと、僕の空気を読むって能力が発揮されないんですよね。
メタバースとかSNS上で「空気を読む」ことが可能だったらめちゃくちゃ面白いとは思うんです。日本人独特の「空気を読む」っていう感覚がオンラインでも可能だとしたら、僕はウェルカムなんですけど、現状では僕の空間、僕のテリトリーに入ってもらった方が圧倒的に空気が読みやすいんですよね。
―だから自分のテリトリーに引き込むために「場」を作っているという意味もあるんですね。
そうなんですよね。社会性を謳ったりはしているんですけど、実は自分の得意分野で人との関係性を築きたいっていう動機もあるんですよね。「場」に人が集まれば、価値観に共感してくれる仲間を探せるし、人と関係性が築ければ自分の価値観のアップデートにもなりますよね。それが結果的に、個人、会社、そして社会を良くすることにつながると思っているんです。
―スマホでなんでも完結する時代に、人と繋がれる「場」がある意義は大きいですよね。
「場」に行くこともいろいろ段階がありますよね。ご飯を食べに行くのも、お茶しに行くのも、最初はその「場」に行くことに意味がある。でも、最終的には人に会いに行っているんですよね。「場」に行く意味を考えた時に、人との関係性とか、刺激とかがこれからのキーワードになると思うんです。
―京都は個人経営の飲食店も多いですし、「場」の力がまだギリギリ生きている地域ですよね。今はチェーンの飲食店に行ったら、ロボットが配膳してくれたり、お会計が自動だったりしますよね。人間が「場」から排除されている気もします。
回転寿司に行ったら、人と喋らなくてもボタンだけ押せば注文が来るみたいなね(笑)それは効率性重視の最たるものやと思ってて。確かに経営的な目線で見れば、業務の効率とかコスト削減とか、オペレーションの安定化になるんでしょうけど。でもそれで飯がうまいんかなあとは思うんですよね。効率よく食事をすることとか、効率よく生きることで、大事なものが失われていますよね。やっぱりリアルな「場」に行くのは、人に会うためやと思うし、そこに僕らが生きている意味もある。
僕もチェーン店が嫌いなわけではないんですけど、チェーン店に入った時の温度感とか虚無感とか、これやったらもうウィダーインゼリーでもいいんじゃないの、って思うくらいロボット的に栄養を補給しているなと思うんですよね。
―コロナ禍でそれが加速しましたよね。
宮川町にSIGHTS KYOTOをオープンしてからいろいろなお店でランチしていますけど、やっぱり気持ち的に豊かになったなと思いますね。今日はどのお店に行こうかなって考えたり、「こんにちは」って言いながら暖簾をくぐったりする。コロナの時より人間らしさを取り戻した感じがしますよね。
経済的なインパクトと社会的インパクトの両立を模索しつつ、お金を”目的”にするんではなくて、”手段”にする。これを理念としてやり続けるだけかなと。
―江戸時代から明治にかけて活躍した近江商人は「買い手よし」「売り手よし」「世間よし」のいわゆる三方よしの精神を唱えています。そのバランスが近代化崩れてしまったと警鐘を鳴らす人も多いですよね。西澤さんはホテル経営をされていますが、京都はオーバーツーリズムも問題になっています。
そうですね。うちのウェブサイトでも持続可能な観光として「地域」「自然」「文化」を掲げていますし、基本的には三方よしの精神を大事にしています。オーバーツーリズムはわかりやすい例で、その三方の中でどれか一つがオーバーしちゃっている状態なんです。際限なく観光客を入れたら、経済だけが飛び抜けてしまって、自然や文化が消耗してしまったり。自然や文化財が落書きや人的な損傷で傷んだりする。結局はオーバーしている部分をどう調整するかが問題なんですよね。来訪客を減らしました。でもお金も減りました、じゃ意味がないですし。そもそも3つのバランスの要素に一個だけ過剰投資するとバランスが崩れてしまう。
―多くの経営者が抱えているジレンマでもありますよね。
そうですね。でも世の中がそうなっているから止められないんですよね。今は世の中の価値観が経済優先だからそれが当たり前なんですよ。だからそもそも、世の中の価値観自体が変化しないと、根本的な問題にメスを入れるのが難しい。
―投資先行でホテルを建築し続けても、結局行き着くところはマネーゲームですよね。ゴールが見えないし、その結果がリーマンショックだったり。
結局、大量生産大量消費になってしまうんですよ。だから、ずっと続いている資本主義のモデルを考え直さないと、行き着くところはリーマンショックと一緒ですよね。観光業も同じ問題を抱えています。
―企業がSDGsを謳うのは普通のことになっていますが、それが形骸化するっていう危惧はありますか?
ありますね。結局SDGsがプロモーションの一部になっちゃってるんじゃないか、とは思っていて。人間に例えると、アクセサリーとか服装を変えるだけじゃなくて「心」に変化がないと意味がないと思うんです。SDGsをコアに行動しているんだったら全体にも変化があると思うんですけど、やっぱり”ジャケット”的になっている例が多いんじゃないかと。
―SDGsという言葉が先行している。
さっきの近江商人の話だと、日本にはも三方よしっていう精神がもともと備わっていたし、持続可能な暮らしは江戸時代からあったわけですよね。でも江戸時代にはSDGsなんて言葉ありませんでしたよね。でも、SDGsって言わなくても、その精神が根付いていた。でも、資本主義とか近代化の中で、その精神が失われてしまって、気がついた時には効率化を求める世の中になっていて、歯止めももう効かない状況になっていた。
お金や資本主義が悪いわけでないんですけど、それがファーストになるのは、良くないですよね。お金が一番っていうのは、ちょっと強すぎるな、とは思っていて。やっぱりそこにメスを入れる必要があるんやないかと。
―なるほど。経営者でもそこにジレンマを抱えている方は多いと思います。
みんながお金以外の数字を追えるようになるといいんですけどね。今は全部お金が一番で動いているけども、お金以外の新しい”計り”みたいなものが生まれれば、それこそ”新しい資本主義”が実現できると思うんですけどね。
僕ができることは、経済的なインパクトと社会的インパクトの両立を模索しつつ、お金を”目的”にするんではなくて、”手段”にする。これを理念としてやり続けるだけかなと。
結局、人と人との関係性でしか幸福感は得られないんだろうなと思うんです。
―西澤さんはこれからの社会で”幸福”の価値観はどのように変化すると思いますか?
僕の希望としては、人と人との繋がりとか、関係性が幸福につながる。そういった価値観が広がるといいですよね。効率性を追い求めることを否定するわけではないですけど、人と繋がりがあるのって、幸せだよねって気づけたらいいと思うんです。人間関係ってストレスもあるけど、人との関係を面倒くささで投げ出してしまうはもったいない。捉え方一つで変わるんじゃないかな、と。もちろん面倒くさい人もいるんですけど「面倒くさい人もおるなあ」くらいの余裕を持つというか(笑)
―なるほど(笑)
結局、人と人との関係性でしか幸福感は得られないんだろうなと思うんです。結局ひとりで美味しいものを食べても、幸福感には限界がある。僕は旅行にずっと携わっていますけど、旅行でも結局、人がいてなんぼですよね。一人旅だとしても、現地の人と色々喋るのが楽しさだと思いますし、やっぱり人がいてこそなんじゃないかと。僕は最近、ひとりで美味しいもの食べても幸福感があがらないんですよ。ひとりでいることの幸福感ってやっぱり限界があるなって、常に思いますね。
―今は人間関係もコストで換算されがちですよね。
そうなんですよ。人と会うことをコストと捉えるのはちょっとよくない傾向だなと思ってて。
人以外のものから得られる幸福なんてたかが知れてると思うんですよ。限界がある。共感とか応援も人から得られるものだし、その方が幸福度は高いと思いますね。しかもそれをリアルで得られたら一番嬉しいな、と。
―SIGHTS KYOTOは、そのための「場」でもありますよね。
そう!そのためにも「場」が必要なんですよ。自分の価値観や世界観を作るためにはどうしても「場」が必要だったし、自分のテリトリーに入ってもらうのが大事なんです。テリトリーに入ってもらうのは、リアルじゃないと読めない空気や、来てくれる人の空気を掴み取るために必要なことなんですよね。やっぱりそれはオンラインじゃわかんないんですよね。色々試してみた結果ではあるんですけど。
人との対話でしか幸福を得られないっていうことでいうと、今はそういったテーマの旅行の商品を作ろうと思っているんです。人との対話で心のかけらを持って帰ってもらうっていう企画を考えていて、実際に動かしているところです。
―それは面白そうですね。
面白そうでしょ!今は混合ツアーとオーダーメイドツアーがあって、例えば京都の職人さんに直接会いに行って、そこで職人さんと対話してもらうって企画なんです。伝統とか文化って結局は心だと思うんです。職人さんはもちろん技術を継承しているけど、心も継承してるんじゃないのかな、と。それを直接、見に行くツアーなんです。
職人さんが一方的に喋るセミナー的なものじゃないので、参加した人がほんまに聞きたいことを聞くことができて、その心の欠片を持って帰れる。たとえば精神性とか武士道とかに触れて、それを持って帰ってもらって、本人の心の一部できる。それで自分の価値観をアップデートしてもらう。そういう商品を作っているところです。新しい観光が僕のテーマでもあるし、京都の観光をどんどんアップデートしていきたいですね。
SIGHTS KYOTO内観
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ぜひ、お聞きください。
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