彼に肩書きをつけるのは難しい。ロックバンド フルヤマンズのドラムでありながら、大喜利イベントや幕末講座の主催、ミュージックビデオの監督、ラッパー、司会業・・・etcと、あまりにもその活動が多岐にわたっているからだ。その一方でカジワラさんはソーシャルワーカーとして、病院で勤務する一面も持ち合わせる。一体、彼は仕事をしながら、なぜ、そこまで活動の幅を広げることができるのか。そして、あまりにも多くの肩書きを持つのはなぜなのか。そこには、思いもよらない意外な答えと、彼が抱く夢への信念があったー。
Profile
カジワラコウジ
1980年生まれ。大分県出身。高校卒業後、芸人を目指し、大阪へ。その後、アルバイトを経て、現在は病院で相談員・ソーシャルワーカーの仕事に従事。大喜利イベントや幕末講座の主催、ミュージックビデオの監督、ラッパー、司会業とその活動の幅を広げている。
すべては、子供のころからの夢を叶えるために。
ーカジワラさんはロックバンド フルヤマンズのドラマーでありながら、大喜利イベントや幕末講座の主催、ミュージックビデオの監督、ラッパー、司会業と一筋縄ではいかない活動の幅ですよね。どうしてここまでご自身の活動の範囲を広げようと思ったんですか?
たしかに僕の活動ってジャンルもバラバラだし、一見、統一感がないんですけど、実は、子供の頃からの夢「自分の小説を出版する」「小説家として生きていく」ってことを叶えるための一本の道筋なんですよ。
ーえっ。小説ですか!?
そうなんです(笑)
すべての活動は、子供の頃からの夢のため。小説の幅を広げるためにやっていることなんです。
今はとある文学賞での入選を目標に執筆しています。
ーそれは意外な答えでした・・・。PVの監督や、大喜利のイベントは、一見、小説の執筆となんの関係もないように思えますが・・・。
PVは事前に曲を聴いて、自分でストーリー作りを行なっています。これは小説の構成力をつけるためです。大喜利のイベントは、僕が問題を考えているんですけど、発想力やアイディア力を磨くためですね。すべての活動に、小説に結びつく理由があるんですよ。確かに人からは、たまに何を目指してるのかわからない、って言われることもありますが(笑)
ー小説のネタを考えたり、執筆したりって、ひとりでコツコツと部屋の中で行うイメージがありますが、大喜利イベントの企画など、なぜ、あえて人を巻き込んだ活動をされているんですか?
そこが、僕のちょっと特殊な部分かもしれないですね(笑)でも、それもいい小説を書くためなんです。
自分の感性で生み出したものが、人の目に触れることで、ポジティブでもネガティブでも、何かしらの反応をもらえる。これが大切なんです。大喜利なんかは、例えばIPPONとかのテレビ番組を見ながら、部屋で1人で行うこともできますよね。でも一人でやっていたら、いつまでたっても自分の感性は磨くことはできない。僕はよく、この感性をフィルターに例えるんですけど、自分のフィルターの目が荒いと、面白くないものでも簡単に通ってしまう。このフィルターの目をできるだけ細かくするのが、小説を書く上で重要なことだと僕は考えているんです。
そして、この、フィルターの精度を上げる大切なのが、人の目に自分の作品が触れることなんですよね。自分の作ったものが、人の目に触れないと、この精度はいつまでたっても上がらないと僕は考えているんです。だから、あえて人を巻き込んだイベントにして、できるだけ多くの人の目に、自分の考えたこと、自分の感性で生み出したものをあえて晒しているんです。ひとつひとつの活動には、今出せる僕の全力を出し尽くしています。どの活動にも本気になって向き合わないと、将来、小説の題材にした時に、薄っぺらいものになってしまいますから。
ー小説家になる、という夢を持ったきっかけは?
母が本が好きなんですけど、小さい頃から、家に本がいっぱいあったんですね。小学生の頃に、母が本にアンダーラインを引いていて、「なんでこんなことやってるの?」って尋ねたことがあったんです。そしたら、「いい表現だったり、ここの気持ちがわかるってところに引いているのよ」って答えが返ってきたんです。それで「あなたもやってみたら?」っては母から勧められて、実際に自分でもそれをやってみたんです。そしたら、こういう言葉遣いをしたら人の気持ちは動くのか!っていう驚きがあった。それで、自分でも小説を書いてみたい!思ったのが始まりですね。
僕は当時、手話サークルに入っていて、その手話サークルの広報誌を作っていた方が、広報誌の巻末に僕の小説のコーナーを作ってくれたんです。そこに自分の小説を発表したら、耳の聞こえない方々が僕の小説を読んで、「面白い」と言ってくれた。それで、文字だったら、どんな人にでも自分の作品を届けられる!と思ったんです。そこから読んでくれる人を意識して書き始めましたね。
この仕事に就いて、自分が予想だにしないしない感情がこの世にあると知ることができた。
ーカジワラさんはソーシャルワーカーとして、病院で勤務されています。今の仕事を選ばれた理由は?
元々、母が看護師をやっていたのと、僕はフルヤマンズというバンドでドラムを叩いているんですけど、そのフルヤマンズのメンバーが医療関係の仕事をしているんです。だから、病院での仕事は自分にとっても身近だったし、想像しやすかったんです。
ー2年前にソーシャルワーカーとして就職されるまで、長いことアルバイト期間を経ています。これだけ多くの活動をしながら、なぜ、あえて正社員の道を選んだんでしょうか?
やっぱり、生活の安定と、創作の時間の確保のためっていうのが大きいですね。バイトの時と同じ労働時間でも、正社員の方が生活の安定が確保されている分、創作に集中できますし、総合的に見てメリットが大きいなと。
ーソーシャルワーカーというの仕事に就いて、ご自身の中でどんな変化がありましたか?
この仕事に就く前までは自分のバンド周りとか、自分の手の届く範囲でしか物事を見れていなかった。でも、ソーシャルワーカーという、日常の中で人と関わる仕事をさせてもらって、今まで出会えなかった方々、例えば戦争を経験している方だったり、家庭を持ってに生活している方だったり、そういう今まで関わることがなかった方々に出会うことができたんです。それによって、自分の視野が大きく広がったな、と感じています。
ー執筆する小説のテーマにも変化はありましたか?
それももちろんあります。ソーシャルワーカーの仕事に就く前までは、「悲しい」とか「嬉しい」っていう感情は、恋愛とか友情にしかないものだと思っていたんです。僕が書く小説のテーマもその範囲の中で完結していたんです。でも、この仕事をするようになって、人間の喜怒哀楽の幅に驚かされました。僕が仕事で接している方々は、僕らが普段、「普通にできて当たり前」と思っていることを、なかなかできないこともあるんです。例えば、そういった方々が、普通に食べ物を口にして、食べ物が美味しいと感じるだけで、感動して涙する。その感情を間近に見て、感じて、自分が予想だにしなかった、感情がこの世にあるんだと思い知らされました。こういったとても貴重な経験を、自分の書く小説にも反映するようになりましたね。
40歳、50歳になっても、俺は夢を追いかけている、と言い続けたい。
ーカジワラさんの今後の目標を教えてください。
もちろん、文学賞を受賞して、自分の本を流通させる。そのために、イベントも、バンドもやり続けて、自分の感性磨くために、自分の作品を人の目に晒し続けていくと思います。
ー正社員として会社などに勤めながら、「夢を追いかけている」となかなか言えない方も多いと思います。
確かに30歳を超えて、夢を追ってバンドや芸人をしていると、「いい歳して何やってんだよ」って周りからとやかく言われることも多いと思います。でも、その周りの声に押し負けて、夢を諦めてしまうのって、すごくもったいないことだと思うんです。いくつになっても、働きながらでも、夢は追い続けることはできる。そこには年齢も、環境も関係ないんじゃないかと思います。
僕はこれからも、いくつになっても、「俺は夢を追いかけている」と声を大にして言い続けたい。仮に夢を叶えるのが60歳になっても70歳になっても、これからも自分の夢のために、挑戦し続けていきたいです。
カジワラさんが監督したPVはこちら
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