ゆとり世代の「聞く・聞き合う力」が、今、世の中に求められている。―森岡 里奈(パーソナル・コーチ)

ニソクノワラジの新シリーズ「ゆとりの穴」がスタートしました。この企画では、ゆとり世代の”今“に焦点を当て、ゆとり世代が抱える”穴”を、インタビューを通して探っていきます。

今回、インタビューを行ったのはパーソナル・コーチとして活動する森岡里奈さん。高校卒業後から社会に出た森岡さんは、早々から「ゆとりなんでしょ?」と言われ、悔しい思いをしたと話してくれました。

そんな森岡さんだからこそ見出した、「ゆとり世代だからこそ担える役割」とは?

パーソナル・コーチという「人に寄り添う仕事」を続ける森岡さんならではの、力強い言葉がありました。


<Profile>

森岡 里奈

愛媛県松山市出身。高校卒業後に、ホテルマンとしてホスピタリティを学び、より個人個人のサポート接点を増やしたいという想いから秘書・営業を経験。30歳の節目に自身のキャリア/ライフプランを考えるためコーチングに出会う。その後、大学で心理学を学びつつ、コーチングの認定資格を取得。現在はパーソナル・コーチとしてさまざまな場で活動の場を広げている。


何を根拠に「ゆとり教育はダメだった。失敗だった」って、言ってるんだろう。それってエビデンスある?みたいな(笑)


―森岡さんは学生時代にゆとり教育になった瞬間って覚えてますか?

それがねえ。覚えてないんですよ。自分がいわゆる「ゆとり世代」なんだって感じたのは社会人になってからですね。

私は高校卒業してからホテル業界に入ったんです。先輩からは「ついにゆとり世代が入社した!」「ゆとり教育ってどうだったの?」「ゆとりなんでしょ?」って言われて、「ああ、私はゆとり世代」なんだ、ってことが時間をかけてじわじわ身に染みてきたんですよ。


―その時ってどんな感情でしたか?

「ゆとりゆとり言われても、私、ゆとりじゃないんだけどなー」って思ってましたね。ゆとり教育になったのは中学三年生で、義務教育期間ギリギリだったし、高校は0時限目とかある進学クラスだったので、そんな世間が言うほど「ゆとって」ないっすよ!って思ってましたね。

当時は夜間部のホテル専門学校に通いながら、ホテル勤務もこなしていたので、日中は仕事して、夜は勉強して、って生活だったんです。さすがに体力的にキツくなって、ある日、ついに体調を崩しちゃったんです。その時、ホテルの支配人に「ゆとりはいいね〜。夜まで飲み歩いてたんでしょ」って言われたんです。その一言が忘れられなくて。そこで、社会に対する不信感というか、「ああ、社会って守ってくれないんだな」って思っちゃったんですよね。


―なるほど。

社会に出てすぐに、体調不良と、働きづらいって気持ちが「ゆとり」ってひと言に紐づけられたんです。それがすごい悔しかったですね。その10年後くらいに、世間でも「ゆとり教育は失敗」って風潮になって、そういう見出しの新聞記事を見たりして、「ああー!あの時すごい嫌だったなー!」って。当時の悔しさを思い出しましたね。

その後は、ベンチャー企業に転職したんですけど、柔軟な働き方ができたし、とにかくがむしゃらに頑張りました。でも相変わらず世間は「ゆとり世代」ってレッテルでひとまとめにしようとするし、憤りはありましたね。


―当時は社会のスケープゴートにされている感じがありましたよね。

うん。そこに憤りとか、悔しいって感覚があったかな。私はゆとって生きてきたつもりはないのに、「ゆとり世代」ってひとくくりにされるし、何を根拠に「ゆとり教育はダメだった。失敗だった」って、言ってるんだろう。それってエビデンスある?みたいな(笑)


―(笑)そう考えると、10年前と今では常識も考え方も変わりましたよね。時代が変わった、というか・・・。

今は当たり前が当たり前じゃなくなっている時代になりましたよね。コロナ禍もそうだし、遡ればリーマンショックがあって、東日本大震災があって、それに伴って働き方も、暮らし方、パートナーシップのあり方とかも、この20年間で徐々に変化してきましたよね。私たちは今、当たり前と当たり前の”間(はざま)”にいるんだと思います。旧時代の当たり前と、新時代の当たり前の”間”にいる。


―その”間”にいるのが苦しいと感じている人もいると思います。

私も苦しいと感じることがありますね。新しい世の中に変わっていますよー、これが今の世界基準ですよー、新しい価値観ですよー、ってメディアやSNSで喧伝されるけど、新しいものが全員にインストールされているわけじゃないですよね。もちろん感度が高い人は適応しているんだろうけど。私たちの親世代にも、情報は平等に行き渡っている。だけど、その新しい情報に馴染むのに、時間がかかるなって感覚はありますね。私は地方在住なので、そのすれ違いに苦しさを感じることはありますね。自分は新基準で生きようと思っているのに、「それはおかしいよ」って言われたりとか。価値観の違いを肌で感じますよね。


―今の世の中は変化のスピードが早すぎますよね。

うーん。私はスピードが早すぎる、とは思わないんですよね。戦後から戦後復興。そこから高度経済成長からバブルまで、とか、過去からの歴史を見ても、今の変化ってそんな急じゃないな、って。いつだって、その時代なりの変化は起きてるし、戦後から高度経済成長の変化って、今と同じぐらいの差だったんじゃないかな。だって私たちはガラケー世代じゃないですか。ガラケーからスマホになったんですよ。これって革命的な変化じゃないですか。


―下の世代はスマホを使って、独自の文化圏を築いていますよね。

それがうらやましいんですよ。それに、今の子たちは大事にされてますよね。


―大事にとは?

やっぱり私は社会に出た時にものすごい衝撃があって。まだパワハラセクハラ当たり前だったし、「社会ってそんなに優しくないんだ」ってショックをずっと引きずっているんですよね。でも、今は、もちろんですけど、パワハラセクハラなんてしたら全世代を対象として一発アウトだし、新入社員を採るなんてことになると争奪戦ですよね。「会社に新しい風を吹かせるのは君たちだ!」的な感じで、はじめから求められている。


―今、新卒採用は大変みたいですね。

私たちの世代も少子化とは言われてたけど、ベビーブームの後の世代だし、そもそも人材不足の世の中じゃなかったと思うんです。だから、根底に「あれ?社会に歓迎されてないぞ」って感覚があるんですよね。それこそ、カラムーチョさんが付けた、この企画のタイトルのように、社会の”穴”化している、というか。


―”穴”化して、居場所がなくなっている。

うん。社会の”穴”になってる。私たちの世代がいなくても、世の中回ったんじゃないかな、って感覚がずっと付き纏っているんです。実際にはそんなことないんだろうけど(笑)

みんなが一律じゃなくてもいい、って社会になっているし、”穴”は”穴”なりにできることがあるな、って。


―森岡さんは今、大学で心理学を学んでいますよね。社会人を経てから、大学に行った理由は?

自分の中で大学に行くのは逃げだったんですよね。


―逃げですか。

このまま働いていても将来のキャリアプランが描けなかったんです。周りを蹴落としてでも出世していく、というガツガツ感もないし、突出したアイディアも知識も持ってない。今後、自分がどうやって生きていきたいのか、見失っていたんです。それを考える時間にしたくて30歳を過ぎてから、大学に入ったんです。心理学部に入ったのも実は後付けで。


―今は学んだことを活かして、コーチングを仕事にされてますよね。

私はたまたま人に対して興味があって。だからホテルマンや秘書や営業の仕事をしていました。今思えば、一貫して、相手に寄り添って、相手のやりたいことを叶える仕事だったんです。


−ああ、なるほど。

今は「当たり前」が多様化する中、「お互いのことを理解し合うのが大事だ」って言われていますよね。これから社会に入ってくる若い人たちが、どういう知識とイノベーションを持っているのか。年配の人たちがどういう歴史を築き上げてきたのか。お互いにお互いの意見を聞き合う必要がある。でも、「俺たちの時代は・・・」って昔の成功体験を語る年配の人たちもいるし、一方で若者も「これからの時代は・・・」って歴史の背景や年長者の気持ちを無視して主張する傾向がある。大学の10代や20代の子たちとディスカッションをしていると、そう感じることがあるんです。

そこで「だったら、”間(はざま)"の世代の私たちが、その間をとり持てばいいんだ!」って気がついたんです。その役割を担えるのは、ゆとり世代である私たちだ、って。


―ファシリーテーター的な役割ってことですね。

そうそう!”間”の世代の私たちだからこそ、上の世代と下の世代を俯瞰して見れるんじゃないか、って。私にはどうしても、上の世代も下の世代も、「私たちが生きていない世界」のことを話しているように思えて。置いてきぼりな感じ。不在感っていうんですかね。でも、そんな感覚を持った”間“の世代だからこそ、両方の世界を見れるんじゃないでしょうか。


―ゆとり世代はファシリテーターやコーチングに向いている、ってことなんですかね?

私は「人の話を聞くのが苦手で・・・」とか「人の話を聞けるようになりたいんです」という思いで、対人支援に興味を持っている方の話を聞くことがあるんですが、同世代から同じような相談を受けることは少ないんですよね。「聞く力」だったり「人に寄り添う力」を持っている人が、もしかしたら、同世代にはたくさんいるのかもしれない。


―ゆとり世代は人に対する優しさを持っているのかもしれないですね。

それがゆとり教育の結果なのかもしれないですね。私的にはそれは「ギフト」だと思っています。


―ギフトですか。それはいい表現ですね。

もし仮に「聞く」「聞き合う」っていう行為を、私たちが苦に感じないのだとしたら、その行為こそ、今、ゆとり世代が世の中に求められていることなのかもしれないですね。私たちは社会の”穴”かもしれないけど、それもまたいいんじゃないかな、って。


―人の言葉を吸収する”穴”にもなれる、ってことですね。

そうそう。溢れている言葉や気持ちを受け止める”穴“の役割ができる。それに、”穴”は深ければ深いほどいいんじゃないでしょうか。今はみんなが一律じゃなくてもいい、って社会になっているし、”穴”は”穴”なりにできることがある。


―森岡さんはこれからどうなっていきたいですか?

やっぱり、これからも相手に寄り添って、相手のやりたいことを叶える仕事をしていきたい、って思ってます。わざわざ自分から”出る杭”になる必要はないし、むしろ”出る杭”を受け止める”穴”になりたい。受け止める穴が深ければ深いほど、杭は自立する。これからも、自分の”穴”で”杭”を受け止めていきたいですね。



ニソクノワラジ

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