Photo(C)小川真司
今回インタビューを行ったのは、京都を拠点に活動する画家の唐仁原 希さん。
京都市立芸術大学の学生だった唐仁原さんは、当時、就職活動をほとんどしなかったらしく・・・。テーマパークでのアルバイトや高校の非常勤の美術講師などを経験したんだそう。
しかし、「絵」と「仕事」を分けた「二足の草鞋」という感覚はなかったと語ります。その真意とは。
また現在も美術教員としても活躍する唐仁原さん。”教育”の道へも一歩踏み出したからこそ見えてきた問題点。そして、”アート”が存在する意義。
「人生を味わう」ことについてお伺いしました。
<Profile>
唐仁原 希/画家
1984年滋賀県生まれる。幼いころに見た『フランダースの犬』で登場したルーベンスの作品を見たことがきっかけで、絵画に興味を持つ。漫画家志望を経て、その後、油画の道へ。大学卒業後、画家としての活動を並行して、テーマパークの美術のアルバイトや高校での非常勤美術講師といった職を経験する。2020年 京都市立芸術大学大学院美術研究科博士(後期)課程油画領域 修了。現在、京都を拠点にしつつ、大学の美術教員としても活動中。
2012年 京展市長賞、京都市美術館賞
2013年 VOCA展2013 -新しい平面の作家達-
2014年 滋賀県次世代文化賞
2015年 京都市芸術新人賞、琳派400年記念 新鋭選抜展 – 京都産経新聞社賞
2016年 FACE展
2016 損保ジャパン日本興亜美術賞展 優秀賞など、受賞多数。
職場が人との繋がりを確認できる場でしたし、働いていることと絵を描くことが地続きになっていたんです。
ー唐仁原さんは京都市立芸術大学大学院(修士)を修了後、画家の活動と並行してテーマパークで美術のアルバイトや、高校や大学で美術の非常勤講師の仕事をされていたそうですね。
そうなんです。今思えば恐ろしいことに、大学院に通っていた当時、全く就職活動をしていなくて。「修了制作が終わったら決めればいいや」くらいに考えていたんです。修了後数年は共同スタジオで制作しつつ、テーマパークでの美術のアルバイトや非常勤講師の仕事をしていました。なぜ当時、不安を感じなかったのか謎ですね(笑)
ー(笑)若さゆえの根拠なき自信みたいなものがあったのでしょうか?
それもありますし、周りにアーティストとして活動している先輩が多かったのも大きいです。周りの先輩たちはそれぞれ生活を工夫しながら、充実した作家活動をされていましたし、彼らの背中を見ていると自分の未来像が具体的にイメージしやすかったんです。また、既にアーティスト活動をしているクラスメイトも多かったのですが、私も修士学生の時からギャラリーに所属して展覧会の経験を積んでいましたので、まったくのゼロからのスタートではありませんでした。だから、将来的に自分の作品がまったく評価されない、ということは想像していませんでした。そういう意味では根拠のない自信を持っていたのかもしれません(笑)
Photo(C) MATSUO MEGUMI +VOICE GALLERY pfs/w
ー絵を描く以外の仕事を経験して、ご自身の創作にはどんな影響がありましたか?
テーマパークは非現実的なファンタジーの世界ですよね。私はアトラクションのメンテナンス班に所属していたんですが、夜間勤務だったんです。だから、誰もいない夜のテーマパーク内を走り回って、ファンタジックな世界に思う存分浸ることができたんです。それには多大なインスピレーションを得ましたね。真面目に仕事はしていましたよ(笑)それと、テーマパークでは、様々な制作技術を持った人たちと一緒に仕事をしていたので、樹脂を使って立体を作る技術や、水性や油性の塗料の種類や違いだったり、そういったテクニックをまるで師弟のような関係性で学べたのは大きいです。学んだ技術はその後の創作に活用しています。今でも立体作品の塗装に取り掛かるときには「あ、これ、仕事でやったことあるな」って思い返したりして。また、私のような若手のアーティストも多く所属していたので、展覧会や制作の話など、情報共有の場になったりもしていました。間違いなく自分の表現の幅が広がりましたし、自分の引き出しが増えたように思います。
それに、非常勤の美術講師を経験したことによって、美術にしかなかった自分自身の興味が、教育にも湧くようになりました。
絵を描くには「材料」が必要です。それは画材とか物質的なことではなくて、「何を描くか」というモチーベションのことで。私の場合は人との繋がりや関わりが、絵を描くモチベーションの一つになっています。当時は私にとって、職場が人との繋がりを確認できる場でしたし、働いていることと絵を描くことが地続きになっていたんです。だから、「絵」と「仕事」を分ける、「二足の草鞋」という感覚はありませんでした。
ー創作と仕事、二つの道を経験したことによって、唐仁原さんにも新しい可能性が拓けた、という感じがしますね。
絵という目標は決めていましたが、「偶然」という流れに身を任せていたら、思わぬところにたどり着いた、という感じです。でも、今ここにあるのは必然的だとも感じています。まるでRPGのような(笑)。
私は「自分の反応」に興味があるんです。私は自分勝手で、自分を知りたいという欲が強い。自分が一体どんな”楽器”に生まれたのかを知りたいんです。「自分」を味わい、そこから生まれた考えや意識を絵の材料として利用する。だから、自分と対峙する時間が多い画家は私にとってぴったりな職業ですし、自分を味わうために、仕事を通して人と関わることは必要なことだったように思います。
ー自分の感情をぶつけて表現しているということでしょうか?
う〜ん。それは違います。個人的に学んだことや感じたことをただ創作物にぶつけるだけだと、どうしても独りよがりになってしまいますし、自分自身が得た学びを外界に伝達するための変換は必要だと思います。その作業が、私が「絵を描く」上でとても大切なことなのです。
その学びの素となる人間関係がないと、導火線に火がつかないんです(笑)社会との関わり合いによって、「感じる」や「知る」といった材料をもらっているので。画家以外の仕事にはそういった面でも影響を受けていますね。
ー唐仁原さんの画風はどちらかというとダーク寄りですよね。やはり、そこに人間関係の悩みが反映されていたりするのでしょうか?
あると思います。仕事も共同スタジオでの生活も人間関係で辛い面はあって。誰が悪い、ってわけでもない中で起こる人間同士の摩擦だったり滞りだったり。それを解消するしんどさなどを経験して、人間のもどかしさを知りました。人間、辛いことがあったほうが、考えたり感じたりしますよね。そのような、人生におけるしんどさから絵画に還元するインスピレーションを得ることも多かったです。絵画を描く上で美術史的な文脈や、アートシーンを意識するのは必要なことですが、少なからず作家個人の人生も作品に反映されると思うのです。美術史上の画家たちの中でも、個人の体験によって作風が変化するのはよくあることで・・・。社会的なものごとと、個人的な人生とが作品内で交錯するのは実に絵画らしいと思います。
ー芸術は岡本太郎の言葉のように自分の感性やインスピレーションを「爆発」させるイメージがありますよね。
私は漫画やアニメ、それと古典絵画に影響を受けていて。美術史の文脈を意識するのは、それが他者と共有するためのツールでもあるからなんです。そういったツールを使えば、言葉にならない感覚でも、ビジュアルとして他者にわかりやすく伝えることができる。自分が得た学びや考えを、いかに他者に伝達するか、その方法論を構築していくのはアート表現にとって大切なことだと思います。学生のころはその構築の作業に苦労しました(笑)確かに岡本太郎は「芸術は爆発だ」って言葉を遺していますけれど、実は意外と爆発させてないと思うのです。当時のアートシーンとか、新しい表現の在り方とかを踏ま得たうえで、自分のイズムだったり構築論をかなり理性的に作品にしていると思うんです。アーティストって、イメージよりも実はずっと冷静なのでは、と思います。例えば、物悲しい絵を描こうと思ったら、どういう風に悲しい絵を見せればいいのか。先人たちと同じことはできないし、じゃあ、涙を描こう、でも涙はダイレクトだよなあ、という以前に「悲しい」って何だ、エモすぎるよなあ、とか、実は理性的、数学的に考えているところがあると思います。作り手それぞれ多少の差はあるでしょうけれど。
ー自分の人生経験をロジカルに作品に落とし込む、という感じなんですね。
自分の人生経験というと個人的すぎるように感じますが、例えば答えが「2」の数式があるとしたら、「2」にたどり着く数式は無数にありますよね。その数式の美しさを芸術家は競い合っているような・・・。ある人は人間関係で得たことだったり、ある人はアートシーンだったり、ある人は社会的な問題だったり、自分の考えを、数式に代入していくんです。自分のすべての日常を還元して、芸術に昇華していくという感じです。「2」にたどり着かなければ、元も子もないのですが(笑)
「他者と違ってても問題ないんだよ」ってメッセージを発信するのは、表現者としての責任のひとつだな、と感じました。
ー唐仁原さんは現在、大学で美術教員の仕事もされています。教育への道に踏み込んでみて、芸術への見識が深まったりはしましたか?
どちらかというと、芸術以外の見識が深まりましたね。私の場合でいうと、まさに教育の在り方を考えるようになりました。
ー教育の在り方、というと?
生徒それぞれの数式の多様性に気がついたんです。その中で美術講師の経験も通して、美術教育の重要性や美術教育の問題点など、「教育」とかいうと仰々しいですが、「教えること」そのものについて意識が高まりました。
ー画家だけではなく、美術教員という異なる世界も経験したからこその気づきですね。
他人と一緒じゃないと不安で仕方ない学生が思いのほか多かったことに、とても驚いたんです。テレビやSNSでのビジネスモデルとか、狭い範囲でしか将来を選択できない。それが自分に合っているモデルなのかなんて、わからないじゃないですか。だから、人生を辛く感じてしまっている子もたくさんいるんです。例えば「この絵に色を塗ってください」って課題を出した時に「先生、どの色を塗ればいいですか?」って、最初から最後まで私に聞いてくる子がいたんです。それはつまり、誰かに指示されないと動けない、誰かが地図を示してくれないと足がすくんでしまう、ってことで。「他者と違ってても問題ないんだよ」ってメッセージを発信するのは、表現者としての責任のひとつだな、と感じました。「自分が思う、自分のみの選択をしてもいいんだよ」「他者と違っててもいいんだよ」ってことをアートを通して知るのに、美術教育は重要なんです。他者との違いに悩んで、世間体といった型に嵌まることに対して、苦しんでる子がいる。そんな子に対して、私は背中を押すことができればと思います。
ー教育や人づくりに関わって、意外な発見などはありましたか?
人がこんなに「自分を味わうこと」をしていないんだ、という驚きがありました。だから、学生には「もっと自分を味わってみよう」って伝えています。人が生き辛さを感じる時って、きっと自分の人生の”楽譜”を奏でられていない時なのだと思います。私は、自分を存分に味わって、自立した自分の”楽譜”を作ってみようって伝えたいです。
ー今はご自身の作品を研究する博士課程への進学も選択されましたが、学問や自分の芸術を追求したいと思っていても、なかなか踏み出せない学生も多いと思います。
結局、他者と比較するからしんどくなるのだと思います。「あの人とみたいに」「あの人が羨ましい」って。楽器に喩えると、自分はピアノではないのに、ピアノのことばかり見ているから苦しくなる。本当はピアノとは違う楽器なのに、ピアノの道を選んでしまえば失敗してしまいますよね。だからこそ、自分を味わい尽くして、自分がピアノではないことを誤魔化さずに、自分を肯定して、認めてあげることが大事なんです。確かにピアノは一般的にもメジャーな楽器ですが、他にも楽器はたくさんあるじゃないですか。バイオリン、マリンバ、トライアングル・・・どの楽器だってオーケストラには必要な存在ですし・・・エレキギターだったらバンドを組めばいい。
それがわかるようになったら、もしピアノの道を強制されたとしても「自分は違うんだ」って修正できますよね。自分に鞭を打ち過ぎず。自分が理想とする楽器じゃないことを責めないで欲しいんです。
ー「自分で自分を味わい尽くす」のが、人生においても大事、ということですね。
そう。いくつになっても自分を知って、自分を味わい続けようということですね。お金持ちでも貧乏でも、それって実はどっちでもよくて、もしかしたら貧乏が自分を味わい尽くすいい機会になるかもしれない。一般的に言われている「悪いこと」を嫌なこと、避けるべきことと判断して恐れなくていいと思うのです。良いも悪いも、全部フラットな視点で見ることが大事で、自分を味わい尽くす人生だったら、良いことが起こっても悪いことが起こっても、俯瞰視点で見ることができる。人生をまさにRPGをプレイするように考えてみる。主人公になりきるから恐ろしいことが多いんであって、ゲームの外のプレイヤー視点を持ってみれば、きっと人生はもっと楽しいものになると思います。
0コメント