片付けのプロ資格「整理収納アドバイザー」を取得し、「片付けパパ」としても活動する大村信夫さん。
今は日本全国を駆け巡って活躍する大村さんですが、以前はなんと毎晩のように飲み屋街で同僚後輩を連れて飲み歩き、仕事の鬱憤を晴らすために愚痴りまくる”ダメリーマン”だったらしく・・・。
そして、お酒を完全に断ち、人生を歩み直すようになったきっかけは、とある一通の手紙だったそう。
今回はその大村さんの人生を紐解きつつ、「世の中がワクワクな人たちばかりになることが、僕の人生のミッション」と語る大村さんの人生哲学について迫りました。
<Profile>
大村信夫
整理収納アドバイザー/片付けパパ
1974年生まれ。青森県出身。大学卒業後、SEとして大手企業に入社。その後、転職。本業ではマーケティング部門に所属。2017年より会社から兼業許可を受け、「片付けパパ」「片付け部長」としての活動を開始。その後、2019年にミッション・ラボを設立し、代表となる。また、共働きで3児の子育てパパ。
亡くなった父の手紙を読んでから、人生の自分軸を歩みだした。
ー今や片付けのプロ資格「整理収納アドバイザー」を活かして「片付けパパ」として活躍されている大村さんですが、意外にも以前は自分でもおっしゃるほどの”ダメリーマン”だったそうですね。
はい。”ダメリーマン”でした(笑)以前は毎晩、飲み歩いていましたね。もちろん仕事は忙しかったんですけど、毎晩残業して、仕事の鬱憤を晴らすために仕事帰りに同僚や後輩を強引に誘って飲み屋街に繰り出すという(笑)
ーそれはなかなかですね・・・。
帰ってくるのは毎日夜中で。子どももすでにいたんですけど、育児も家事も一切やらずに、「仕事の付き合いなんだからしょうがないだろ!」って言い訳をして。そんな日々でしたね。
ー当時、「俺ってダメだなー」というような意識はあったんでしょうか?
もちろんもちろん。ありましたよ。でも、あの頃は人生に希望がなかったんですよね。
僕は0歳の時に父が41歳で亡くなっているんですね。だから、自分の中に「父親像」みたいなものがなかったんです。親父の背中、って言うんですかね。自分が父親になるにつれてどう振る舞ったらいいか、っていうお手本がなかったんですよね。父親という立場から逃げていたんです。だからお酒で現実逃避をしていたのではないかと。
ーそこで、6年前にお父様が遺された手紙をたまたま見つけたことが人生の転機になったとか。
はい。子どもの頃から、人づてに亡くなった父の話を聞いても自分の中でどこか腑に落ちないというか、知らないおじさんの話を聞いている、という感覚に近かったんです。でも、6年前にたまたま亡くなった父の手紙を発見して。その父の手紙は自筆の手紙だったんですけど、その手紙を読んだ瞬間にグググっと真に迫るものがあったんですね。僕は父が書いた手紙を見るのは初めてだったし、そこには父が生きている時に抱えていた想いが肉筆で綴られていたんです。生きている父をはじめてビジュアルで意識して、生きている頃の父の息遣いに直接触れて、父と40年の時を経て繋がったような感覚になったんです。それで、「このままじゃやばいぞ、俺」って。
ーやばい、というと?
それまでは自分が人生においてどうありたいのか、なんて全く考えていなかったし、家族を大切にしたい、とか、幸せになりたいとか、抽象的にはあったんですけど、目の前のお酒に逃げていました。でも、父の手紙を読んでいると、当時の僕や母のことを心の底から愛している。仕事も家庭もしっかりと考えていた人だったってことを知ったんです。その瞬間に、人生の自分軸を歩いている父の姿が目に浮かんで。その日から、一切お酒を絶って、人生の自分軸を歩むために様々な活動しはじめました。
ー会社でも仕事もお忙しかった、とおっしゃっていましたが、なぜあえて会社の”外”での活動をしようと?
それにはある二つの言葉に影響を受けていて。まず、父の手紙の中に綴られていた「一日一秒でも長く生きたい」という言葉。もうひとつは、スティーブ・ジョブズの「もし今日が自分の最後の日だとすれば、『今日しようと思っていることが、本当にしたいことだろうか?』と自問するようにしている。もしその答えが『ノー』だという日が何日も何日も続くようであれば、何かを変える必要がある」という言葉です。自分も今の仕事はとてもやりがいもあるし楽しいのですが、もし今日が人生最後の日で、人のために何かをしなければならないとしたら会社に行くだろうか?それよりももっと自分の命をかけてやることがあるのではないか?と思ったのです。いずれにしても会社には定年がありますから、今の仕事以外の「何か」を見つける必要があったんです。それで、外にも人生の自分軸を探しはじめました。そこからは模索の日々でしたね。
ー模索の日々、ということは、すぐに「片付けパパ」に行き着いたわけではなかったんですね。
今の「片付けパパ」に行き着くまでに2年くらいかかってますね。まずは自分探しの日々でした。色々なセミナーに行ったり、異業種交流会に行ったり。たくさんの人との出会いはありましたが、なかなか人生の自分軸を見つけるのは難しかったですね。
ープロの「整理収納アドバイザー」になって、片付けパパになったきっかけはなんだったのでしょうか?
実は高校の同窓会があった時に、たまたま片付けを仕事にしているクラスメートがいたんです。彼女の話を聞いたら「それなにそれなに?」って興味が湧いてきて。僕の家族は全員片付けが苦手で(笑)当時、家の中がぐちゃぐちゃだったんですね。それで、そのクラスメートに来てもらったら、散らかり放題だったのが劇的に改善されて。しかも、家族とのコミュニケーションもうまくいくようになったんです。そこで「片付けってすごいな」って感銘を受けたんです。片付けはセンスが必要だと思っていたけど、ちゃんとした理論があったし、片付けをすることによって気持ちが整理される。それがすごくいいな、と思ったんです。そこから片付けを研究しはじめると面白くて面白くて。それで3年前に「整理収納アドバイザー」の資格を取得して、正式に”片付けのプロ”を名乗れるようになりました。そのタイミングで会社にも兼業の申請を出して、兼業としても本格的にスタートしました。
ー大村さんは「片付けパパ」にとどまらず、「ミッション・ラボ」や「パラキャリスナック」を主宰されています。
僕は「世の中がワクワクな人たちばかりになること」を自分の人生のミッションにしているんです。
ーワクワクですか。
この世の中、モヤモヤしている人ってたくさんいて。大企業のミドルシニア層は特にモヤモヤしていると思うんですよね。以前の僕のように、おじさん達が会社終わりに同僚や後輩を連れて飲みに行って愚痴る。この悪循環を世の中から無くしたいと思っているんです。
僕は色々な人と出会う中で、ワクワクしている人とモヤモヤしている人の差は、自分の中の軸を持っているか否かだな、と感じていて。ワクワクしている人は”人生の目標”を持っている人なんだ、って気がついたんです。「ミッション・ラボ」や「パラキャリスナック」はその”人生の目標”を探そうっていう活動です。僕ら、義務教育の中で人生のミッションの探し方なんて習っていないじゃないですか。見つけ方は人それぞれで、例えば理系の人は理系な探し方。文系な人は文系な探し方が合っていたりする。だから、僕はタイプ別ミッションの探し方のガイドのようなものを作りたいんです。人生のミッションを見つけることで、ワクワクしている大人をどんどん増やしていきたい。そして、その背中を見る子どもたちが、「大人ってかっこいいな」って思える世の中を作りたいんです。
ー今のミドルシニア層は「ひとつの会社で勤めてあげてこそ人生」という教育を受けて来た世代でもありますよね。
すべてにおいて「かっこいいかどうか」が基準だった世代ですからね。当時は”就職”より”就社”という考えですよね。入社したら一生勤めあげるものだと思っていたし、転勤や異動も当たり前で、自分の人生を人事部に丸投げしていた時代ですよね。だから、今になって「自分が本当にやりたかったことはなんだったんだろう」って考えている40代、50代って意外と多いんですよね。
強みと弱みをお互いに補い合える仲間を作ったほうが、人生が豊かになる。
ー大村さんがパラレルキャリアをして変わったことはなんでしょう?
間違いなく人との出会いですね。パラレルキャリアを始めた当時、「お金持ちより人持ちになれ」って言葉に出会って、本当にその通りだなって。人に貢献すると自分に回り回って自分に返ってくる、ってこともわかりました。人生が豊かになりましたね。
ー家族との関係変化はありましたか?
お酒をやめた時点で家族との関係は良好になりましたし、さらにプラスアルファで、パラレルキャリアをやっている僕は常に機嫌がいいし、ワクワクしている。そうすると家族も応援してくれて、今では、高校生の長女に名刺を作ってもらったりしています。まあ、多少はお小遣い欲しさだと思うんですけど(笑)でも、子どもにとっても勉強になるし、家族に一体感も生まれますよね。
ーパラレルキャリアによって、家族との新しいつながりができたんですね。
そうですね。時々メディアにも出れば「すごいね!!」って言ってくれる。父親としても嬉しいじゃないですか。本業のことは守秘義務があるからなかなか話せないけど、パラレルキャリアだったら家族にも開示できますよね。
ー人生100年時代といわれて、ミドル層の「これからどう生きるか」にも注目が集まるようになりました。
僕らは多分、90歳くらいまで元気なんですよ。でも、残念なことに、我々の世代は悠々自適な年金はもらえない。となると、定年後のマネタイズも考えなきゃいけませんよね。それで、定年間際になって、自分のやりたいことを考えても、間に合わないのではないかと思うんですよね。なので、40代のうちから少しづつやりたいことを試す必要がある。定年間際の1、2年で見つけるのは至難の技。だから、僕は40代になったら「団体戦から個人戦を意識しろ」って言っているんです。団体戦とは、つまり自分の働いている会社のことです。その会社の看板を、自分の実力だと考えている人も多いんですよね。肩書き=人格だと錯覚しちゃうのはとても危険なことで、役職は退職したら外れるし、一生ついて回らないじゃないですか。それに対して、個人戦は自分の名前で仕事をすることです。
ーなるほど。仮に90歳まで自分が生きるとしたら、死ぬときにどんな肩書きを持っていたいか、ということですね。
そうそう。だから、僕の場合は「片付けパパ」から「片付け爺さん」になっているかもしれない(笑)でも、そっちの方が人生楽しいじゃないですか。
ーこれからパラレルキャリアを始めたいという方はどこからスタートするのがいいのでしょう?
まず、お金を目当てにしないことですね。今は「FXだー」「月7桁の収入だー」っていうのがすぐに目についちゃうけど、まずはお金を儲けられるかどうかよりも、心がワクワクするかどうか、に重きを置いた方がいい。お金は必ず後についてきます。
40代、50代が陥りがちなのが「パラレルキャリアをやろう」ってなった時に、自分にはスキルがない、と勘違いして資格を取りまくる症候群なんです。目的もなく闇雲にいろんな資格の勉強をはじめるとか、自分がどうなりたいのか、人生において何をしたいのか、それをちゃんと固めた上で、心がワクワクしているかが重要で。それがないんだったら資格の勉強をしてもあまり意味ないですよね。
ーまずは自分の未来像を想像してワクワクできるか、が重要なんですね。
そうです。僕も模索期間に中小企業診断士の資格試験の勉強をしましたけど、まあ難しいし、勉強自体にワクワクしなかった。でも、その時に一緒に勉強していた仲間が資格に受かって「あ、コンサルタント的なことが必要になったら、一緒に組めばいいじゃん」って気がついたんです。自分は自分の強みを伸ばせばいいいんだ、って。僕は苦手を克服するのは20代までで、30代以降は強みを伸ばしたほうがいい、と思っていて。強みと弱みをお互いに補い合える仲間を作ったほうが、人生が豊かになる。それが「お金持ちになるより人持ちになる」ということなんです。
ーでも、なかなかその一歩を踏み出すのが難しかったり・・・(笑)
それこそ、日常をちょっとでも変えてみる、くらいだったら誰にでもできますよね。「Do something different」っていうんですけど、毎日コンビニで買う飲み物を変えてみるとか、定食屋でいつも注文するメニューを変えてみるとか。そうすると、「これ意外と美味しいな」っていう発見があるかもしれない。それだけでも一歩成長ですよね。だから、日常を変えるために、まずは色々なコミュニティに顔を出してみたり、自分が「人のため」に何ができるのかを考えてみるのがいいんじゃないかと。
僕はパラレルキャリアのロールモデルになりたいんです。本業もあって、家族もいて、家事育児もやって、さらにパラレルキャリアもやっている。そのノウハウを確立して、社会に還元したいんです。
僕は「片付けを通じて人生を整えましょう」というワークショップをやっています。前半はリアルな片付けの話をして、人生を整えるという話を経由し、人生で一番大切なミッションを見つけよう、というオチをつけているんですね。
ーなるほど。理にかなっていますね。人生の余計なものを片付けてこそ、真に大切なものが見つける、ということですね。それを大村さん自らが発信するのも「人のため」の精神ですよね。
そうですそうです。僕は「人のために尽くしたいな」と考えていて。僕は父も母も自衛官だったんですね。だから僕は「世のため人のため」っていう精神が人一倍強い家庭で育ったんです。物心ついた時には母が人のために行動しているのが当たり前だったんですよね。その時に母が言っていた「お金がなくても、自分の時間を提供すれば、それは人のためになるんだよ」って言葉がずっと心に残っていて。僕は昔、自分さえよければいいという”ダメリーマン”だったけど、その母の言葉を胸に、人のために汗をかく、を意識して行動したら、人生が回り始めました。
やり方は誰だって最初は模索しながらです。だから、まずは、人の手助けから初めてみてはいかがでしょうか。
0コメント